はじめに——正直に、僕の話をさせてください
不器用だった。それが、僕の人生をたった一言で表すなら、そういうことになるかもしれません。人前では話せず、器用に立ち回ることができず、何度も失敗し、何度も涙を流しました。
けれど、その不器用さが僕を育ててくれたのだと思います。
今、スパークルキャリアという会社を創って、介護・障がい福祉領域で働く人たちの人生に向き合う仕事をしています。10,000件以上のキャリア相談を通じて、僕が学んだことがあります。それは「人は変われる」ということ。そして「本気で向き合えば、不器用でも信頼される」ということです。
この記事では、隠さずに、ありのままに、僕の人生の話をさせてください。失敗も、弱さも、涙も。それがきっと、誰かの人生に何か小さな灯をともすかもしれないから。
器用に生きられなかった少年時代
人前で話せなかった小学校・中学校
小学校の頃から、僕は人前で話すのが極度に苦手でした。何かを発表する時間が来ると、心臓がバクバクして、声が出なくなる。教室の中で、自分だけが取り残されているような感覚。みんなが楽しそうに学園生活を送っているのに、僕だけが違う世界にいるような——そんな感覚を抱いていました。
中学校に進学しても、その苦手さは変わりませんでした。むしろ、誰もが人間関係を広げていく時期に、僕は殻に閉じこもっていました。授業で当てられるのが怖い。友達を作るのが怖い。学校という場所全体が、僕にとっては得体の知れない戦場に見えていたのです。
その頃の僕は、確実に「できない子」だと思い込んでいました。そしてその思い込みは、今振り返ってみても、人生の大きな転換点に影響を与えるほど強力でした。
転校が変えた世界——「人は変われる」という希望
中学2年生の時、僕は転校しました。その日から、すべてが変わりました。
新しい環境に置かれた時、不思議なことに、僕の中で何かが解放されたのです。それまでの「できない」という思い込みは、実は、その環境の中で作られたものだったのかもしれません。新しい学校では、誰も「藤原亮太はできない子だ」という先入観を持っていない。そこには、新しいスタートがあった。
不思議と、人前で話すことが怖くなくなりました。友達も増えました。学校生活が楽しくなりました。その体験は、その後の僕の人生観を大きく変えました。「あ、人は変われるんだ」という確信に変わったのです。
この経験がなければ、今の僕はいません。なぜなら、転職を繰り返した20代を通じて、何度も「自分は変われる」という信念に救われたから。そして、起業後、何度も「もう無理だ」と思った時も、この中学2年生の転校体験が僕を支えたから。
人は変わる。環境が変わると、人は変わる。その体験がなければ、僕は今、介護業界で働く人たちに「あなたは変われますよ」と言うことはできなかったでしょう。
音響の現場で叩きのめされた「プロの在り方」
高校を卒業した後、僕は音響エンジニアを目指しました。ギターが好きだった。音楽が好きだった。「プロになりたい」という夢があった。
けれど、その夢は、音響の現場で完全に叩きのめされました。
プロの世界は、甘くありませんでした。イベント現場での音響業務は、秒単位の判断の積み重ね。ミスが許されない環境。完璧さが求められます。そこで働く大人たちは、プロとしてのプライドを持っており、妥協を許しません。
若い時分の僕は、その環境についていくのが精一杯でした。何度も怒られ、何度も「こんなこともできないのか」と言われました。ギターの才能がない、音響への適性がない——そう思い知らされました。
その経験は、辛いものでした。けれど、それと同時に、僕は重要なことを学びました。それは「プロとは何か」ということ。中途半端さは許されない。自分の役割に対する責任感。相手の期待を超える努力。——そういったプロとしての在り方が、その現場では当たり前でした。
ギターの夢は消えました。でも、「プロの在り方」について学んだ経験は、その後、介護業界で働く人たちに「プロフェッショナルとは何か」を伝える時に、大きな力になりました。
迷走した20代——9回の転職と、その根っこにあったもの
ホテル。飲食店。ネットワークビジネス。民泊。ネイルサロン。美容室。スタッフィング営業。そして、その他の仕事。20代を通じて、僕は9回以上の転職を繰り返しました。
一つ一つの仕事は、それぞれ違いました。給与も違えば、環境も違う。労働時間も、やりがいの感じ方も、すべてが異なっていました。
周囲の人間からは「何をしたいのかが分からない」「根気がない」「定職に就けない奴」と言われたかもしれません。実際、20代の僕自身も、そう思っていました。「何で俺はこんなに続かないんだろう」と。
けれど、その迷走の中に、確かな道がありました。それに気づいたのは、ずっと後のことです。
毎回の転職の背景には「これは違う」という、ささやかな確信がありました。完全に求人の条件が合致していないわけではない。給与が悪いわけでもない。でも「何か違う」と感じるたび、僕は次の仕事を探していました。
つまり、僕は知らず知らずのうちに「自分軸」を探していたのです。自分が本当にしたいことは何か。自分がどう在りたいか。その答えを求めて、ジプシーのように さまよっていたのです。
介護業界との「たまたま」の出会い
転職を繰り返す中で、ある時期、僕は失業しました。次の仕事が見つからない。貯金も減っていく。そういう状況の中で、知人から「介護の仕事を手伝ってくれないか」という声がかかりました。
それが、僕と介護業界の出会いでした。
最初は、正直「たまたま」の出会いでした。別に「介護をしたい」という想いがあったわけではありません。失業状態で、生活費を稼ぐ必要があったから。そういう現実的な理由で、僕は介護の現場に足を踏み入れました。
けれど、その「たまたま」の中に、僕の人生の答えが隠されていました。
介護の現場では、高齢者や利用者さんの人生に向き合う必要がありました。その人はどう在りたいのか。どんな人生を送ってきたのか。今、何を大切にしているのか。——そういう「人間としての本質」に向き合う仕事でした。
それまでの様々な職場では「仕事をする」ということが軸でした。でも介護の現場では「人に向き合う」ということが軸でした。その違いに、僕は気づきました。「あ、これだ。僕が探していたのはこれなんだ」と。
「綺麗事ばっかり言うな」——営業で打ちのめされた日
介護業界での仕事を続ける中で、僕はスタッフィング営業への道に進みました。つまり、介護職の人たちを求人先の企業にマッチングさせる営業の仕事です。
その仕事の中で、僕は大きな失敗をしました。
営業初期の僕は「上手く売る」ことに躍起でした。求人票のいい面を強調し、条件のいい部分を前面に出す。相手が求人に応募するように、綺麗な言葉を並べていました。
けれど、その営業スタイルは、ことごとく上手くいきませんでした。みんな応募してこない。契約が決まらない。何度も何度も、営業成績を落とすのです。
ある時、上司から厳しい言葉をもらいました。「綺麗事ばっかり言うな。まず結果を出せ」
その言葉は、僕にとって一つの転機になりました。なぜなら、それは単なる叱責ではなく「本当の営業とは何か」という問いを投げかけていたから。
その時、僕は考え直しました。「上手く売る」ことではなく「相手の人生に向き合う」ことを営業の軸にしたら、どうなるだろう。
相手の人生と向き合う覚悟が、すべてを変えた
営業方法を変えました。求人票を説明することをやめました。代わりに「あなたの人生は、今どういう状態ですか?」と聞くようにしました。
どんな人生を送ってきたのか。今、何に困っているのか。将来、どう在りたいのか。——そういう、その人の本質的な部分に向き合う営業スタイルに変えたのです。
すると、不思議なことが起きました。相手の反応が変わったのです。
それまでのように「求人票を聞く」のではなく「僕の人生の話を聞いてくれる人がいる」という体験が、相手にとって何かを引き起こしたのだと思います。
営業成績が上がりました。求人への応募が増えました。それだけではなく「藤原さんに相談するといつも勇気をもらえる」「藤原さんと話すと、人生が前に進む気がする」という言葉をもらうようになりました。
その時、僕は気づきました。「営業」ではなく「対話」。相手の人生に心から向き合う。その姿勢があれば、不器用でも、言葉が上手くなくても、人は信頼してくれるのだと。
会社をつくっても、泣くことばかりだった
営業で成果を出すようになった僕は「自分で会社をつくろう」と考え始めました。スパークルキャリアを創業したのは、それから間もなくのことです。
けれど、経営は、営業とはまったく違う世界でした。
経営では「結果」がすべてです。営業成績、売上、利益率、顧客満足度——数字で全てが判定されます。そこに「人生に向き合いたい」という想いだけでは、何ともなりません。
組織を動かす大変さ。経営判断の責任の重さ。お金が必要な状況での葛藤。——会社を創った後、僕は何度も泣きました。
毎晩のように、オフィスで一人、涙を流すこともありました。「本当にこれでいいのだろうか」「自分は経営者に向いていないのではないか」「失敗したらどうしよう」——そういう不安と恐怖に、何度も押しつぶされそうになりました。
会社を創ったことで「夢が叶った」わけではなく、新しい苦しみと向き合う羽目になったのです。それは、その後の僕の人生を形作る、大きな試練となりました。
「いのちのきらめきを引き出す」は涙から生まれた
経営の苦しみの中で、僕は一つのことに気づきました。
人生が前に進まないと感じている時、人は涙を流す。その涙の中には、本当の想い——もう隠しようのない、その人の心の底にある何かが、表れている。
僕自身が何度も泣きました。会社を創った責任の中で。経営判断に迷った時に。うまくいかない時に。その涙の中で「なぜ自分は会社を創ったのか」「何のために人生をかけるのか」——そういう根本的な問いに向き合わされました。
そして、その問いの答えが「いのちのきらめきを引き出す」という言葉になったのです。
会社のミッションとして掲げた言葉ではなく、涙の中から生まれた言葉。その人が本当に大切にしていること。その人がどう在りたいのか。その人の心の底にあるきらめき。——そういうものを引き出す仕事をしたい。
その想いが、今のスパークルキャリアの全ての活動の軸になっています。
不器用でも、本気で向き合えば信頼される
今、10,000件以上のキャリア相談を通じて「人の可能性を信じる転職支援」を行う中で、僕が何度も確認したことがあります。
それは「人は変わる」ということ。そして「本気で向き合えば、不器用でも信頼される」ということです。
僕は今でも器用ではありません。営業トークは上手くありません。説得的な言葉を並べることは得意ではありません。しかし、相談に来る人たちは「藤原さんと話すと、何かが変わる」と言ってくれます。それは、僕が器用だからではなく、その人の人生に本気で向き合っているからだと思うのです。
人は、完璧さに心を開きません。むしろ、不完全さに心を開きます。不器用さに心を開きます。なぜなら、そこに本気さが見えるから。
転職を考える人たちの多くは「条件」で選択肢を判定しようとします。給与、勤務地、休日。それらは確かに大切です。ただ、その前に「自分は何を大切にしているのか」「どう在りたいのか」という「自分軸」を見つけることが何よりも大事です。
その「自分軸」を一緒に見つけるプロセスで、僕は相手の人生に本気で向き合う。そして、その向き合う姿勢が、相手の心を開き、相手自身の中にあるきらめきを引き出すのです。
人は変わる。僕は中学2年生での転校で気づきました。9回の転職の中で、その確信は深まりました。介護業界との出会いで、それは人生の使命に変わりました。
核心:人は変わる
人が変わるのに必要なのは、完璧な計画や器用さではありません。必要なのは「その人がどう在りたいのか」という想いを引き出し、その想いに本気で向き合う誰かの存在です。それがあれば、人は変わります。
まとめ
中学2年生の時の転校。音響の現場での失敗。9回の転職。失業。介護業界との出会い。営業での挫折と再生。会社創業での涙。——その全てが、今の僕を形作っています。
不器用だった。失敗ばかりしていた。何度も道に迷った。何度も涙を流した。
けれど、その不器用さと失敗と迷走の中に、人生で本当に大切なことが隠れていたのだと思います。
今、介護業界で働く多くの人たちと向き合う中で、僕は毎日「人は変わる」ことを実感しています。人生が前に進まないと思っていた人が、ある瞬間に決断をする。その決断の瞬間に涙を流す人も多い。その涙の中から「本当の自分」が生まれ、「本当の人生」が始まるのです。
もし今、あなたが迷っているのなら。人生の選択肢の前で立ち止まっているのなら。「どう在りたいのか」が見えていないのなら。
それは、悪いことではありません。それは「本気で自分の人生と向き合っている証」です。その迷いの中に、必ず答えがあります。
そして、その答えを一緒に探すために、僕たちスパークルキャリアがここにいます。
不器用でも、本気で向き合えば、人は信頼してくれる。人は変わる。その信念を胸に、僕はこれからも、一人ひとりの人生のきらめきを引き出す仕事を続けていきます。