介護施設で管理職を目指す人は、何が必要だと思うでしょうか。資格か。経営の知識か。それとも、スタッフをまとめるマネジメントスキルか。
実際のところ、介護施設の経営層に必要なもっと根本的なことがあります。それは、現場で利用者さんとスタッフの両方に向き合う経験です。その経験がなければ、いくら立派な施設経営理論を持っていても、現場から信頼されない管理職になってしまいます。
今回お話しいただいたのは、夜勤スタッフから施設の経営幹部へと昇進した管理者です。その方が語る、現場経験がなぜ管理職の判断を磨くのか、そして施設全体をどのように運営しているのか——その哲学に耳を傾けてみましょう。
夜勤という最も厳しい現場から学んだこと
介護施設の仕事は、24時間365日続きます。その中で、最も利用者さんとの関係が深まるのが、実は夜勤です。
日中は、多くのスタッフが関わり、活動プログラムもあります。しかし夜勤は違う。利用者さんが夜眠れず不安になっている時、深夜にトイレに行きたくなった時、突然体調が変わった時——その時に利用者さんの隣にいるのは、わずかなスタッフだけです。
その環境では、マニュアル通りに動いていては対応できません。利用者さん一人一人の「その時の気持ち」を読み取り、その人にとって最適な対応を、その場で判断しなければならない。それを毎晩、何人もの利用者さんに対してやることになります。
夜勤の経験がない管理職は、施設の本当の課題を見落とします。
その経験があるからこそ、経営幹部になったときに「利用者さんが夜間に何を必要としているのか」が見えるのです。「なぜスタッフが疲弊しているのか」も、夜勤で疲れた身体で日中の引き継ぎを受ける時の大変さを知っているからこそ、わかるのです。
CS・ES・売上の三角形バランス
施設経営では、よく「顧客満足度(CS)」「従業員満足度(ES)」「売上」を経営の三本柱として語られます。しかし、多くの施設では、この三つのバランスが崩れています。
売上を優先すれば、スタッフの労働環境が悪化します。スタッフの満足度を優先すれば、利用者さんへのサービスが落ちるかもしれません。一方で、利用者さんの満足度だけを追い求めれば、経営が成り立たなくなります。
しかし、実はこの三つは対立するものではなく、一つの三角形なのです。
✦ 介護施設経営の理想的な循環
利用者さんが満足する → 家族からの評判が高まる → 新しい利用者さんが来る → スタッフのモチベーションが上がる → スタッフの笑顔が増える → 利用者さんがさらに満足する
スタッフが満足する → やりがいを感じながら働く → その姿勢が利用者さんに伝わる → 利用者さんが安心する → 利用者さんの評判が高まる
その結果として売上が安定する → スタッフの待遇改善ができる → さらにモチベーションが上がる
つまり、底にあるのは「CS」と「ES」であり、そこが磨かれれば、売上は自然についてくるということです。利用者さんに心から満足されている施設には、その評判を聞いて働きたいと考えるスタッフが集まります。また、スタッフが心から利用者さんに向き合っている施設では、利用者さんと家族の満足度が高くなります。
採用率20%未満——「心があるか」を採用基準にする理由
その施設の採用試験の合格率は、業界的に異例の20%以下だといいます。
理由は、スキルや資格ではなく、「この人は介護職として本当に必要な心を持っているか」を厳しく見ているからです。経営幹部は言います。
介護職に必要なのは、まず心です。知識や技術は、心があれば後から学べます。しかし、利用者さんに向き合う姿勢、その人の人生を大事にする心——それは、後から作ることはできません。
採用試験では、「この利用者さんにどう対応しますか」という状況判断の質問をします。その時、応募者がどのような返答をするかで、その人の「心」が見えるのです。
「施設のルール通りに対応する」という答え方をする人もいます。しかし採用される人は、違います。「その利用者さんの気持ちを想像して、その人にとって何が必要か考える」そういう思考プロセスが見える人です。
結果として、入職したスタッフの質が高くなり、スタッフ間の関係も良くなり、利用者さんの満足度も上がります。採用を厳しくすることで、トータルの施設運営がスムーズになるのです。
「施設」ではなく「家」として機能させる
介護施設で暮らす利用者さんは、多くの場合、そこで人生の最終章を過ごします。だからこそ、その場所は「施設」であってはならず、「家」として機能する必要があります。
家では、何を食べるか自分で選べます。何を着るか自分で決められます。いつ起きて、いつ寝るか、自分で決めることができます。そして、その人らしく、その人が望む形で過ごすことができます。
しかし施設的に動いてしまうと、「朝食は8時」「入浴は火曜と金曜」「就寝時間は21時」と、全てがスケジュール化されてしまいます。利用者さんの個々の望みよりも、効率性が優先されてしまうのです。
経営幹部は、この違いを強く意識しています。
施設が『家』として機能しなければ、家族さんに『この施設なら安心して親を預けられる』という気持ちを持ってもらうことはできません。
だからこそ、その施設では、利用者さんが「自分たちが家のような環境で過ごせている」と感じることを大切にしています。食事の時間も、スタッフが「何が食べたいですか」と確認します。入浴も、利用者さんのペースを大事にします。
そうした対応が、結果として利用者さんと家族からの信頼につながり、それが施設の評判になり、新しい利用者さんが来ることにもつながります。
スタッフの最高齢が80歳——多様性と経験が組織を強くする
その施設で最も驚くべきことの一つが、最高齢のスタッフが80歳だということです。
一般的には、定年をもって仕事を辞めることが多いです。しかし、その施設では、できる限り長く働ける環境を整えています。なぜなら、高齢者のスタッフが現場にいることが、その施設全体の文化を作っているからです。
利用者さんの多くも高齢者です。その高齢者スタッフが、利用者さんと同じ目線で、同じ世代として接することで、利用者さんは「この人は自分たちのことをわかっている」という安心感を得られます。また、若いスタッフも、高齢者スタッフの対応の仕方から、利用者さんとの関わり方を学びます。
つまり、高齢者スタッフの存在は、単なる「人員」ではなく、その施設の文化を形作る重要な要素なのです。
「施設づくり」ではなく「人づくり」という経営哲学
この経営幹部の哲学を貫くキーワードは、「人に託す覚悟」です。
立派な施設を作ることよりも、スタッフが「この施設で、この人たちと働きたい」と思える環境を作ることが、結果として全ての課題を解く鍵になるということです。
そのために必要なのが、現場経験です。夜勤で利用者さんの不安を感じ、スタッフの疲弊を知り、その経験から「では管理職として何ができるか」を考える。その思考プロセスがあるからこそ、スタッフからも利用者さんからも信頼される経営ができるのです。
介護業界でマネジメントを目指す人は、今一度考えてみてください。施設の立派さよりも、自分がスタッフの心にどれだけ向き合えるか。利用者さんの満足度よりも、スタッフのやりがいをどれだけ作れるか。その問いに答えを持つ人こそが、介護施設の本当の経営幹部になれるのです。